必要な物は手をあげなきゃ手に入らない、例

先日、教室の月に1回の勉強会があった。市内の教室(わたしはずっと教室と記述しているが、正式には地域訓練会)全体の勉強会である。
詳しいことは、個人が特定される可能性があるから省略するが、就学時にどの進路がいいかの判定をする機関の方が、就学についてのお話をして下さった。

普通学級。これは、何もなく黙って過ごしていれば全員が籍を置く、いわゆる小学校。
通級教室(わたしは普通学級と同じかと勘違いしていた)。普通学級に通いつつ、定期的に通う。
個別学級。小学校の中にあり、普通学級よりも個人的に幅を持った内容の教育が受けられる。


ここまでは判定を受けた後、学区の学校長と相談して決める。



特別支援学校。これは入学が必要かどうかを審査され、決定、という形。措置といったところだろう。
高等学校には通級教室、個別学級はない。それ故、高等学校としての特別支援学校の数が足りず、増員するように進めている。なので、そのしわ寄せが小学校としての特別支援学校の入学の定員減となっている。
私立、国立の特別支援学校については、受験、という形式で、その年によって学校がどのような児童を入学させたいか、で選ぶ。



相談したい場合、「その機関」に必ず行かなくてはならない。相談申し込みについては締め切りがある。年長になって間もなくだ。
特に特別支援学校については、審査、決定という段階を踏むため、年長時の審査会終了後に入学を希望しても、入学不可能となる。







公立保育園の見学に行った時に、先生がこう言った。
「わたし達が見ていて、もしかしたら…と思うお子さんも結構出て来ます。でも親御さんはそれを受け入れないことが多い。そうすると、いざ小学校に入学する時期に慌てることになってしまいます。
なかなか受け入れる、ということは難しいと思いますが、お母さんは、きちんと受け入れていますね。」



今まで、先生が言ったことについて、理解をしていなかった。
入学する時期に慌てる、というのは、精神的に慌てたり、診断を受けるために慌てるのだと思っていた。



また、別の機関の先生が、昨年度末に言っていたことも思い出した。
「幼稚園、保育園に入園するお子さんは、療育センターとも離れてしまうでしょうが、訓練会とはきちんと繋がっていた方がいい」




前にも述べたが、就園した子どもに対して療育を行なうキャパは、今の住まいの療育センターにはない。良ければ月に1回とか。
一度療育センターを受診した子ども(カルテがある子ども)については、年に1回程、療育センターの担当者が園に出向き、相談を受けたり、園側の相談を受けたりする。
当然、療育センターを受診していない子どもは相談をすることは出来ないのである。


そして療育センターは就学前の子どもが対象。就学したら、受診出来ないのだ。



必要な療育を受けた後、もしくは診察を受けて適正と判断されて、就園させているのだったら何の問題もない。

気付かない、または気付いているがやむを得ず就園させた場合、療育というサービスも情報サービスも不十分と言わざるを得ない。
そして、それらを十分に得られなかったために、就学時に選択肢が少なくなってしまうのだろう。



公的サービスは、とにかく、こちらから手をあげて、またはこちらから探し当ててお願いして使う、という感じだと思う。
手帳もそう。経験者からの知識の受け売りだが、こちらから聞かない限り、言っては来ないそうだ。



入り口からそう。昔は乳幼児検診で、保健師さんが、
「ちょっとこれはおかしい」
と言ってきたらしいが、今はこちらの希望がなければ、
「様子をみましょう」
と言うことになっている。






危うく、就学なんて、まだ先の話〜と教室全員でのんきに構えるところだった。
あと2年もないわけだから。相談まで。

段ボール到着

昨日、引っ越し業者から段ボールが届く。パパが受け取ったようだが。
「10枚サービスしておきましたよ」
ってMaxの50枚を置いていったそうな。2DKの我が家に、一体なんのサービスじゃ。
ガムテープ、紙だったけど、大丈夫なんだろうか…。


はあ…遂に動き出さねば…常にギリギリにならないと動かないわたし。今回は息子がいての作業だから、早めに始めなきゃいかん。


…その前に何を何処に置くか、だった…。
道は険しい。

このブログについて

ブログの意味って人それぞれなんだと思います。今までブログを見て戴いた方のコメントやメールは、わたしのブログを書く意味や、ブログはわたしの人生の100%ではないことを理解してくださっていたので、気付きませんでした。しかし、いろいろな読者を想定しなくてはいけないと、教えて戴く機会がありましたので、わたしがブログをどう利用しているのか、についてお話しします。


わたしにとって、mixiをやめた上でのブログは、仲間に見てもらうものではなく、自分の気持ちの整理と、文字通り、日記ということでしかありません。
毎日、24時間、ブログに書いたことばかり考えているわけでもなく、書くことで、気持ちを見つめ、実生活をニコニコと生きていくための術です。
恐らく、mixiを外して、URLを教えていない方は、調べて訪問して下さっているのだと想定しています。
そういった方は、当然、わたしを気にかけてくださっている方だろうと思うので、もちろん、音信不通だとか、口もきいてくれないという間柄ではないと想定しています。



日記の評価については、もちろん、いろいろな考え方がありますし、わたしはどう見ても完璧な人間ではないので、ありがたいことです。どうしても、文章というのは捉え方の違いなどで誤解も生じます。
しかし、出来るだけ、そう言ったことは、コメント記入していただくか、最新記事以外は、どの日のどのような記事についてのお話なのかわかるようにメールでお願いします。
それがないと、こちらもどの話についてなのかわからず、お話をスムーズにすすめることは難しいです。

特に、時間が経った日記については、それ以降の日記をご確認いただいた上での判断をしていただければ、ありがたいです。

目から鱗

療育センターにて、心理検査をした時のこと。
赤い丸が3つ。大中小と書いてあり。
先生が、一番大きい丸を手で隠して、
「どの丸が大きい?」
と質問。
普通なら、中小のうち、中を選択するでしょ?








息子、先生の大を隠している手をどかし、
「これ」
と言った!確かに!それも正解だ!


最初から大を隠していたら、中を選択したのかも知れない。
でも、最初に大中小を見たものだから、息子は大を選択したのだと思う。


心理検査、わたしは少し離れたところから、何もリアクションをしないように見ていた。
この件以外にも、
「あーなるほど、こういう考え方があるんだ」
と発見した。
息子がすることは、必ず何か理由がある。それが少数派だったり、一般的な想像力を越えているだけのこと。改めて思った瞬間だった。





今日、なんだか落ち着きのない息子(それでもおとなしい性格だから、まあたいしたことはないが)。
教室が終わった後、車道に向かってフラフラ。
「〇〇ちゃん!ママのところにおいで!」
と叫んでも、行きそうになり、体で制止。
すると、お友達が療育の勉強会できいたことを教えてくれた。
「(特性として)遠くから声をかけても、周りの音と混じって、入らないんだって。
近くに行って、静かに話しかけるといいんだって。」
彼女は、その勉強会で、その周りの音と混じって、入らない状況を体験するために、音を大きくした補聴器を付けてみる、ということをしたそうだ。
すると、雑音が入ってきて、話しかけている言葉が聞こえなかったという。


わたしも以前、親子教室の勉強会で、きいたことを思い出した。
普段わたし達は、入って来る情報の中から、必要な物を無意識に選択している。聴覚でも、視覚でも。
しかし、彼等は、そういったことをしないのだという。だから、何か新しい刺激があると、そちらに気が向いてしまうのだ。
まさに息子は当てはまっていて、電車とか余程夢中な物に取り組む時以外は、集中しない。
ただ、静かな環境にいる時や、真っ正面、真横から話しかけた時は、比較的指示が入る。

知識として知っていることと、それを実際に体験してみるということは、説得力が違う。

最近でこそ、絵本を読んだり、おもちゃで遊ぶ時は、自分からテレビを消すようになっている息子(以前は、テレビがついていないことが不安であった)。
それでも、今の住まいでは、食べる、遊ぶ、寝る、という空間を区別することが難しい間取り。どうしても集中出来ない様子。
新居は、幸いにも、各部屋が独立した作りで、DKは食事を食べる場所として利用出来るだけの広さがある。そして、DKからはテレビは見られない。
これで、今は何をする時間なのかの区切りが付くようにサポート出来るのでは?と期待をしている。




療育を利用すること、更に言えば、息子の特性を理解し、受け入れる、ということは、レッテルを貼る行為だとは、わたしは思っていない。差別と区別は別物。
子どものことを理解し、親として子どもにとっていい方法で接していこうと思うのは、定型発達(健常者という言葉は誤解を招いたので、今後はこちらを使う)の子どもでも変わらないだろう。
息子は、育児書や周りのお友達や小さい頃のわたしと、考え方や想像力が違うだけのことなのだ。



息子に障害があるかも、と言われた頃は、現実を見ていなかった。
わたしは今までの人生で人よりは障害、ということを考える機会があった。障害に対して特別な感情はなく、少数派なだけ、と理解をしていた。そのこと自体は今も変わらない。
でも、早期に適切な療育(社会適応するための訓練)を受けることで、息子がこの先、生きやすくなるということは理解はしていなかった。それどころか、定型発達児と障害児は早期から同じ場所にいることが、お互いの理解を深め、偏見をなくす方法と信じていた。

幼稚園も保育園も、現実問題として、障害児を受け入れないこともある。障害の種類、程度の問題で仕方ない場合もあるが、それもきかずに断ることが多いときく。

わたし自身も、保育園見学時に、
「わたしは親より子どもを第一に考えている」
と言っていた園長に、
「この子は将来大学にも行けない。就職も出来ない」
と自信満々に言われた。

教室の先輩や友達の話をきいても、やはり、現実として。
定型発達児に比べて、就園、就学の選択の仕方や幅が違う。早期に訓練(当然ただ遊ぶだけではないから、本人は楽しいだけではないこともあり得る)が必要。
軽度故に、何もいわなければ、失礼なやつ、という程度なので、誤解を招いたり、いじめの対象になることが多い。
得意なことを伸ばしてあげることで就職して実力を発揮するが、周りの理解が必要(指示する際に注意しないとならない)。


今思い付いただけでも、息子は少し遠回りをしたり、人より多く努力をしなくてはならない。もちろんわたし自身も。
そのことに目をむけて覚悟をするのは、息子に劣等感を持たせることとは違う。わたしは、大丈夫なんて無責任なことは言えない。
障害は治らないが、緩和は出来る。ある先生が仰った言葉。


果汁100%のジュースも、60%のジュースも、10%のジュースも、ジュースに変わりはない。どんなに薄めても、水にはならない。


わたしに出来ることは、言われなければ水かと思う程に薄くすることなのだろうと、今は思う。

お祭り

今日はこの前つねってしまったお友達と、地元のお祭りに行きました。

去年別の夏祭りに一緒に行った時の息子は、食べ物拒否、帰る!でしたが…



今回は、前日に
「明日○○ちゃんとお祭りに行くよ」
と伝えると、
「(息子フルネーム)のママと、☆☆(息子)ちゃんと、〇〇ちゃんと、〇〇ちゃんのママとおまつりにいく〜」
と嬉しそう。


今日も、昼に待ち合わせなのに、朝から
「おまつりにいく〜」
とおおはりきり。



道すがら、お祭りの詳細をきいたが、着いたら、想像以上に規模が大きく、人もたくさん!
わたしの実家の辺りは、そんなお祭りはなかったから、わたしの方がテンションが上がった!
うろうろしてから、お好み焼き、焼きもろこし、焼き鳥と、母達はビール。
息子、全部たくさん食べた!焼きもろこし、初めてだったけれども、
「コーンだよ」
と教えると、お友達の真似をして、上手に食べた!


更に、途中で、チョコバナナも。最初は食べなかったけれども、
「バナナだよ」
と教えると、これまた食べた。
「ママにも一口ちょうだい」
と言ってもくれないwケチンボ。でも勝手に食べたがな。


クジをひいて、御神輿を見た。
赤子の頃、大好きだったけれども、去年は興味なし。今年は、わたしにわっしょいを真似しろとせがみ、
「☆☆ちゃんあれやる〜」
と。もう少しお兄ちゃんになったらやろうね、と約束した。


結局、2時間食べてあそんで。とっても楽しかった〜。
来週も遊ぶんだけれど、彼女はだいぶ年下だが、歳なんて関係なく付き合ってきた。楽しいことも辛いことも分かち合い、時に厳しく、真剣に付き合ってくれた。息子のことも無責任に大丈夫と言うこともしない。偏見を持つことも、哀れに思うこともなく、理解してくれている。引っ越しが決まり、泣いてくれた。彼女のお母さんも。
わたしも、正直、離れるのは辛い。

でも、きっと、これからも友達。たいして遠い距離でもない。これからもよろしく。

そろそろ…

明日位から、荷造りを始めようと思って。
だから、今日は部屋の写真を撮りました。

この町や住んでいる人。働いていても、幼稚園に行っても、気にかけて連絡をくれたり、会ってくれる大事な友達。お店や、施設の方々。みんな大好きだから。


出来たら、この町にずっといたかったけど。

親不孝

ブログだけが、わたしの100%ではないから。今までも、このことは別にブログに載せる必要もないと思っていました。だから、ずっと思っていましたし、口にも出していました。伝えたい相手をは伝わっていたから、十分でしたが。敢えて。



わたしは、世界一親不孝で、家庭を持つ資格もなく、人から見下されるような人間です。
そんなわたしを、支えてきてくれたことを感謝します。

息子が2歳の時に、保育園に入れることを反対したあなた達。あなた達は、早生まれでのんびりの息子は、2年保育に、と。わたしは、気持ちを踏みにじることはしたくなかった。けど、結果的に、わたしは甘えていただけのことでした。
でも、さすがに、3年保育で妥協してくれましたが。



3年保育に向けて、再就職に向けて、資格を取り。しかし、息子の予期せね事態。あなた達は、是が非でも、息子にとっていい方法を優先しようとしてくれましたね。
でもさすがに、お父さんも定年になるし、これ以上は甘えられない、と、突っぱねてしまってごめんなさい。


でも、結果的には、療育も受けられ、あなた達に甘えないで済む方法を手に入れることが、やっと出来ました。
これからは、あなた達が一番に考えている息子の療育と、息子にとって何がいいかを考えて動くことが出来ます。
そして、それが一段落ついたら、今度は、ゆっくりと親孝行が出来たら、と思います。