認識の甘さ

今日も保育園見学に。そこは、何人かお友達も通っているので、大まかなことは知っていたが、中に入るのは初めて。
とても綺麗で、水槽があったり、整頓されていたり、給食室も厨房のよう。作りはどちらかというと、幼稚園のようだ。園長先生が整頓しないのは嫌だそうだ。
教育方針も、幼稚園に近い感じで、自立させることを考えているようだ。
母親からの要望で、開園当初から、保育時間内に多数の習い事も、希望制で行なっていたり、パソコンもあったりする(しかもMac!)。
給食にも離乳食からこだわり、栄養士さんが作っている。食べる、ということを大事にしていた。



息子は、引き戸を閉めたくて閉めたくて、癇癪を起こしていたが、屋上で遊んだら、ご機嫌に。
園長先生を気に入ったようで、遊んでもらった。子どもが好きな人はよくわかるのだ。
話の所々で、子どものことが本当に好きで、親や区役所の都合ではなく、子どもにとって何が一番いいのかを考えているのが、よくわかった。
最初のうちは、ここだと息子はついていけないかと思い、障害かもということは話さなかった。
けれど、そんな園長先生なら、話してもいいかなと思い。
加配はしないとのこと。加配の先生がいても、その先生が休んで、子どものことをわかる先生がいなくなってしまうなら、今いる先生みんなでみた方がいいと。
そして、子どもはみんな、出来ることも出来ないことも、それぞれにあり、障害児だからと言って、このくらいの年齢から区別はしたくない、とのこと。
教育の方針にはすごく感心した。が、加配の有無はどちらが息子には良いのだろうか…


園長先生は息子が引き戸を閉めたくて閉めたくて癇癪を起こしていたので、こだわりが強いのはわかったようだ。
具体的に、もし診断がつくなら、広汎性発達障害か、なんとかだろうと言っていた。
目を背けずに、早期に発見して、早期に治療をするのはとてもいいが、大丈夫というきれいごとは言えない。一生付き合わなくてはならないだろうし、大学に行ったり、社会に出たりは難しいだろう。また、年齢があがるに連れ、健常者との差が広がっていくから、徐々に大変になるだろう。
親がしっかり勉強して、しっかりと支えていかないとならない、と言われた。


なんとも、うまく言えないが、複雑な気持ちになった。



帰ってから、広汎性発達障害について調べてみた。
当事者達のブログをいくつかみると、偏見や誤解が、軽度ほど多い、ということが記されていた。
ハッとした。
診断されても、軽度だから、と軽く考えていた。でも、現実は軽度だからこそ、わがままやしつけがなっていないと思われたり、いじめに遭ったりするのだ。
もし、診断されたら。
いくら、わたしが勉強して、息子を理解しても、息子は、将来に渡って、障害によって、辛い思いをしながら生きなくてはならないのだ。

息子の無邪気な顔を見て、涙が出てきた。
申し訳なかった。そんな風に産んだことに。
そして、わたしが、押し潰されずに、息子をしっかり守れるか…不安。
息子は息子だからときれいごとを言っても、わたしは弱くダメな人間だった。