伯父との思い出

伯父はわたしの母の長兄だった。他に母の下に弟、上に兄が3人いる。
伯父夫婦と一番下が母の実家に暮らしていた(一番下は後に結婚して離れに住む)。
明らかに、わたしが従兄弟達の中で一番長い時間を母の実家で過ごした。
弟は里帰り出産で、その間、わたしは母の実家にいた。
その時に、当時離れにいた伯父夫婦と寝ると言ったわたし。結局、薄暗い離れが怖くなり泣いて戻った。その光景は忘れない。
あと、覚えていないのだが、毎年1月2日に新年の集まりで、伯父が言っていたのだが。
わたしが家に絵本があるから取りに行くと言って聞かなかったらしい。
伯父と散歩して、伯父の友人に会い(恐らく初対面)バナナをもらい、その人の家に行きたいと言って驚かれた。(その人は8年前に他界。伯父は、亡くなる前日に見舞いに来た、と言ったらしい)



その後も、母はわたしと弟を連れ、度々実家に遊びに行った。大抵夏休みは1週間ほど過ごした。
一緒に畑に付いていったりした。
ラクターにも乗せてもらった。
苺のハウスにもよく行った。蜜蜂に怯えるわたしに
「ちょっかい出さなきゃ刺されねえよ」
と言った。
器用で折り紙が上手かった伯父からたくさん習った。
いつもどこでもオナラをしていた。
足に脂肪が溜まり、出しているのを見て
「何これ?」
と聞いたら、
「うんこ」
と笑わせてくれた。
二人でいつも炬燵で寝ていたから、足がぶつかった。
わたしの実家に、泊まりがけでヤクルト中日戦を見に来た。負けて悔しかった中日側の父とわたし。伯父と母と弟よりも先に帰った。(お互い譲れず1、3塁側に分かれて観戦w)
わたしを「おねえ」と呼んでいた。
正月に飲むと、みんな酔ったり潰れても、一人だけ残っていた。


祖母の通夜の後、祖母のそばに泊まった。煙草を吸っているのをばらしw二人で部屋の外の灰皿の前で、煙草を交換した。そして、祖母の前でビールを飲んだ。
法事の後、母の実家から帰ろうとした時に、
「今度おじさんが抱いて寝てやる」
と笑った。今思えば、しておけば良かった。


息子が生まれた時、農作業を休んでまで、息子を見に来てくれた。
節句五月人形を送ってくれた。送った後に遠慮すると電話をして、がっかりさせてしまった。



煙草とお酒とヤクルトが好きだった。
納棺の時にお酒と煙草(誰も銘柄を思い出せなかった。煙草を交換したわたしが伝えた。結果的に良かったw)それに入院中に母が届けてはまったハズルの雑誌、出棺の時にスポーツ新聞を持たせた(誰が入れたのか、広げて体にかけていたのは可笑しかった)。
斎場のロビーには、煙草を吸う写真と、祖母との最後の正月の写真(これが遺影になった)なども飾られた。

あちらでも、みんなを笑わせているかな?
みんなと飲んでいるのかな?
こちらでは吸えなくなった煙草を、思いっきり吸っているかな?