最近考えること2

わたしは何のために生きているのか。
理由がまた見付かった。



母と、いろいろ話をした。電話やら、会ったりで。
贔屓目だからか、同居していないからか、祖母も、伯父も、立派な人間だった。社会に貢献したとかでは決してないが。
そして、苦労の多い人生だった。苦労したから、人間として立派なになったのかも知れない。それはわたしにはわからないが。
今回、今まで触れずにいた部分について、母が初めてわたしに語った。
祖母の兄は、わたしが小さい頃に亡くなり、祖母が落ち込んでしまった、というのは、祖母の亡くなった後に聞いていた。
しかし、実は自死だったのだ。
祖母はその数日前に、大伯父の妻とバスで会っていた。彼女はこう言ったそうだ
「(大伯父に)言ってやったんだよ。あんたが動けなくなったら、面倒はみないよ!って」

祖母は、落ち込んだどころか、おかしくなってしまったと母が言っていた。
祖母は、大伯父の自死の夢を見た。それが全く実際そうだったらしい。祖母は詳しく聞いていなかったのにだ。
大伯父はそれほどに無念だったのだ。


この話をきいて、「あちら」の親類の人間性の欠如の理由が少しわかった。




伯父は、前にも書いたが、3人いた娘を全て1歳前に亡くしている。いずれも原因不明の高熱。そのうち1人は、祖父が胃癌で亡くなったのとほぼ同時期だった。
それは伯父にも、祖母にも、非常に辛いことだったに違いない。



母の実家は農業であった。しかし、祖父は村の政治家をしていたため、伯父は中学卒業後、家業に専念した。
精進落としで叔父(母の弟)は、それ故、兄というより、父のようだったと述べていた。
政治家と言っても、今と違い、家は裕福ではなかった。祖父は、自分勝手に生きていたが、正義感が強かったと母は言う。
人に陥れられて、公職選挙法違反で逮捕されたこともある。小学生だった母は、担任の先生宅に預けられたそうだ。



晩年は、祖母も伯父も平和な生活を過ごしていた。
わたしは、その二人しか知らない。平和で口数は少ないが、愛に充ち溢れていた。そして、それは永遠に続くつもりでいた。
しかし、あっという間に消えていってしまった。
一番病気から遠かった二人が、最後は病気で苦しんで。それでも田植え借り入れや、わたしの結婚式が終わるまでは耐えて。
二人は、ぽっくり逝かなければならない人物だったと思う。



人生には、何の意味があるのだろうか?
悲しみ、最後まで苦しむのが人生なのだろうか?