葬儀あれこれ

今回は、ともおばあの時のような実感が湧かないでいる。
また田舎に行けば、伯父がいるような気がしている。


もしかしたら、見舞いに行っていないからかも知れないし、子連れで参列したから、どっぷりと葬儀に浸らなかったからかも知れないし。寝ずの番もしなかったからかも知れないし。
ただ、わたしは納棺でも、最後の出棺でも泣いている。その時は、伯父はもう彼岸の人間だと理解したのだ。


なんというか、冷静に周りを見ていた。



[困った親戚]
一人は本家。いつもでしゃばる。ともおばあの時もでしゃばる。しかもその時の気分だから、一貫性もなし。
遺族、特に喪主や近親者はあまり動き回るべきではないとよく冠婚葬祭ガイドにはあるが、動け、挨拶しろ、と指図。
勝手に精進落としの進行役をし出したが、挨拶の言葉をふる時に、挨拶をする大伯父の名前を忘れた、とさらっと言う。
弟と従兄弟が出棺の際に柩を持とうとしたら
「出世していない奴は持つな」
と止めた。
まあ、伯父も生前
「あいつはバカだ」
と言っていたようだし。
母達、離れて暮らす兄弟がイチャモンをつけたら、伯母や叔父(離れに住む)にトバッチリがいっても悪いから、放置。



もう一人。
伯父兄弟の嫁。
前回もそうだが、近いのにろくに見舞いにも来なかったくせに、亡くなった後はしゃしゃり出る。
納棺の時は、我先にと、血縁の順で行おうとしている他の者達を差し置いて出てくる。顔を撫でる。
持たせる物も兄弟より先に入れようとする(母に止められた)。
体が弱いからと伯父(自分の夫)が柩を持とうとしたらやめさせる。
これも放置。




[宗教上の理由で近親者を見送れない]
親類でひとり、宗教上の理由で、通夜不参加、告別式の焼香なしの方がいらした。
通夜は、わたしも息子と外で過ごし、焼香しかしていなかったから、外には二組。
農協の方が、声をかけていたが、曖昧な返事をしていたようだ。
その方は会場の周りを散歩しに出ていった。
農協の方がわたしに
「先程の方はご焼香されましたか?」
ときいてきた。説明すると、
「そういう理由でしたら安心しました」
と言っていた。



大事な人の最後を送れない、その気持ち、どんな気持ちだっただろう。
別に、信仰の自由を否定するつもりはない。
ただ、わたしは今回のことで、ますます無宗教を貫きたくなった。




[家による違い]
パパと自宅に戻ってから、葬儀について話す。わたしの中で、伯父の死について整理したいから。
そこで、家によっての慣習の違いがわかった。


わたしの双方の親戚の場合、わたしは3親等以内は火葬場に行っている。
そして、親戚の葬儀では、親戚は何もしないで、近所の人達が受付やお茶出しなどをしている。
今回の伯父の葬儀会場には、「隣組控室」なるものまであった。



しかしパパ。
祖父母の葬儀では、火葬場に行ったことがない。まあ、火葬場によって、人数や車の台数に制限があるだろうし、親戚の数も違うのかも知れないが。
そして、孫達は受付やらなんやらと仕事をする。
ついでに言えば、葬儀には出席したが、亡くなった後に駆けつける、ということもなかったらしい。よって、今回初めて納棺前の状態を見たそうだ。
パパの親戚は3親等の方が亡くなっても連絡すらない。



家によって、様々なんだなあ…